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ドラム缶風呂の土台

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2021年 9月 7日(火)12時28分42秒
  miuraさんへ
今日(9月7日)、「日記」ー仙人のつぶやきーにドラム缶風呂の土台の写真をアップしました。こんな写真で如何でしょうか?
 
 

miuraさんへ

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2021年 9月 6日(月)10時08分42秒
  「おやじ小屋から」にご訪問いただきありがとうございました。
ドラム缶風呂の土台ですが、この部分は鉄工所に全て作ってもらいました。
これから適当な写真を探して近日中に「日記」でアップしますので、ちょっと時間下さい。
お便りありがとうございました。
 

はじめまして。

 投稿者:miura  投稿日:2021年 9月 2日(木)14時13分13秒
  ドラム缶風呂を作ろうと思い検索していたらこちらに辿り着きました。
ご教授願いたいのですが、ドラム缶風呂の土台ですがどのような作りになっているのでしょうか?もし、可能ならドラム缶風呂の別アングルの写真などアップしていただけるとありがたいです。
素敵なドラム缶風呂と山で羨ましいです。
 

再び山に入ります

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2019年 6月10日(月)18時56分4秒
  70日余りの春の山暮らしを終えて、6月4日に藤沢の自宅に帰りました。
その後今日(6月10日)までバタバタと溜まった用事を済ませて先ほど一段落したところです。
それで明日朝、再びおやじ山に帰ります。
この時期にやらなければならない草刈や作業道作りの他に、何よりもゲストハウスの建築にピッチを上げます。
しばらくおやじ小屋暮らしです。(6月10日 18:55)
 

伊能道地図

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2019年 1月12日(土)12時45分0秒
  小黒環様
あけましておめでとうございます。九州の旅先でPCメールを確認し、添付の詳細な地図(と写真)も拝受しました。「よくぞここまで」と環君の情熱に感服しました。ありがとうございました。一昨日(1月10日)南九州の出張から帰りました。どうかしっかり自分の体調を管理してやって下さい。環君のご健康を心から祈念します。
(おやじ小屋主)
 

川口 アグリ

 投稿者:小黒 環  投稿日:2019年 1月 2日(水)00時26分49秒
   明けましておめでとうございます。環です。 そして久しぶりにブロブに闖入しております。  2017H27・10から始めていました旧三国街道・伊能道の検証・歩き旅ですが昨年末10月に浅貝二居三俣そして越後湯沢まで熊を意識しながら終わり、三国峠のてっぺんから寺泊までようやく完歩・・・少し歩き残しはありますが、約150㎞、写真を撮りながら、古老と話しながらの歩き旅。伊能図を頼りに古道を探しながら、あっちへ行ったり、戻ったり、古老たちとの立ち話と、おおよそ200㎞になるでしょう。 実に良く残っています、その理由を考えるとごく当たり前に事のようです。つまり上信越線建設・清水越国道8号線(直道・馬車通行可能な高規格国道・明治7大プロジェクト)・国道17号線そしてその後、高架化・新幹線・高速道建設が「列島改造」の下実行されましたが、地元の、地元民の水田耕作地・農地は村々の地権・地境・開拓地であり先人の汗が染み込んだ土地であったために変更されずに・・・言い換えれば、それらの先人の汗と関係なく線引きされ、それぞれの土地の成り立ち・コンタを無視した計画であったと今云うべきであるのかもしれませんが・・・いずれにしてもそれ以前の江戸期・明治期とかわらず存続したのでしょう、その農地に行くために残された道が旧三国通でした、踏切・小規模な隧道・立体交差等々でかつての道筋が残されたと云うべきであるのかもしれません。 農作業に使われてきた旧三国通はおおよそ7・8割は残っていました。 しかし地元ではその言い伝えも、途切れ途切れと云うのが現状でした。ところどころで見つけた道標の表記名は「江戸海道」「海道」「えど」、古老たちのこの道に対する呼称は「殿様が籠に乗った道」「官軍が通った道」という事件で言い伝えられていたところが多くありました。 この検証を始めた当初、伝承伝聞のたぐいをまず検証の対象とはせず、最終その伝承伝聞の確認・検証を行うことを自ら課してきました。 結果、つくづく越後では、参勤交代定式路・佐州三路ノ一路三国通・旧三国街道・伊能道に対する認識・意味が顧みられてこなかった事実を実感した次第、摂田屋における捏造の確信と共に。   ところで。川口南にあります「道の駅・アグリ」あの施設の裏にある里道が旧三国街道です。魚野川の河道変化・段丘の土砂崩れ等で江戸期のラインが多少変わっているようですが、確かにあの道です。 川口アグリ、2018H29・05・25、昼食の山菜弁当入手。 川口駅内のベンチで食す。駅員に注意された。 体調は良、二か月に一回の検診と一年に一回の検査入院・・・もう、やめたいのですが!   

ご住職様へ

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2017年11月21日(火)15時16分6秒
  49日忌法要の翌日曜日に雪の長岡を脱出し、昨晩無事に藤沢の自宅に帰りました。ご住職様からの有難くもご丁寧なメールを拝見し、恐縮するとともに心から感謝申し上げます。ご住職様には過日の葬儀からこの度の法要、そして以前からの実家での日頃のお付き合いを含め、大変お世話になり、誠にありがとうございます。どうか今後とも親しくお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。  

御礼

 投稿者:鷲尾純一  投稿日:2017年11月18日(土)17時08分39秒
  今日はお兄様宏一さんの49日忌法要とお父上菊雄さんの27回忌法要でおせわになりました。孝雄さんに名刺をいただきながら、お斎の会場に置き忘れてきました。大変失礼をしました。家に戻り、HPを見せていただきました。「山へ帰ろう」を読ませていただきました。たくさん肯きながら「そうなんだ」「そうですよね」と共感させていただきました。お兄様のお陰でご縁をいただきました。ありがとうございました。託念寺住職  

ちばさんへ

 投稿者:おやじ小屋主  投稿日:2017年 5月11日(木)16時23分27秒
  メールありがとうございます。
県内の方から早速ご連絡いただき嬉しいです。
私の山でも数年前まで首都圏からのマニアが大きな捕虫網を持って堂々とギフチョウを捕っていて、長岡市に看板を立てて貰いました。なんと、そこで知ったのですが、長岡には平成17年に「長岡市稀少生物の保護等に関する条例」が制定されていて、そこにはギフチョウの名前も書いてあったのです。つまり行政は何も保護に本腰を入れてないのです。
さすがに闖入者は居なくなりましたが、そんな思いもあって今回新聞に投稿した次第です。
どうぞ「ちばさん」機会あればおやじ山に遊びに来て下さい。
 

新潟日報を見ました

 投稿者:ちば   投稿日:2017年 5月10日(水)09時25分35秒
  本日5月10日のギフチョウの記事を見ました。
私は、主に弥彦山周辺で植物や昆虫の写真を約20年、撮影しています。
ギフチョウを採取するために県外から来ている人を良く見ます。
市町村で条例を作り、採集を制限する方法も必要かと思っています。
 

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