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川口 アグリ

 投稿者:小黒 環  投稿日:2019年 1月 2日(水)00時26分49秒
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   明けましておめでとうございます。環です。 そして久しぶりにブロブに闖入しております。  2017H27・10から始めていました旧三国街道・伊能道の検証・歩き旅ですが昨年末10月に浅貝二居三俣そして越後湯沢まで熊を意識しながら終わり、三国峠のてっぺんから寺泊までようやく完歩・・・少し歩き残しはありますが、約150㎞、写真を撮りながら、古老と話しながらの歩き旅。伊能図を頼りに古道を探しながら、あっちへ行ったり、戻ったり、古老たちとの立ち話と、おおよそ200㎞になるでしょう。 実に良く残っています、その理由を考えるとごく当たり前に事のようです。つまり上信越線建設・清水越国道8号線(直道・馬車通行可能な高規格国道・明治7大プロジェクト)・国道17号線そしてその後、高架化・新幹線・高速道建設が「列島改造」の下実行されましたが、地元の、地元民の水田耕作地・農地は村々の地権・地境・開拓地であり先人の汗が染み込んだ土地であったために変更されずに・・・言い換えれば、それらの先人の汗と関係なく線引きされ、それぞれの土地の成り立ち・コンタを無視した計画であったと今云うべきであるのかもしれませんが・・・いずれにしてもそれ以前の江戸期・明治期とかわらず存続したのでしょう、その農地に行くために残された道が旧三国通でした、踏切・小規模な隧道・立体交差等々でかつての道筋が残されたと云うべきであるのかもしれません。 農作業に使われてきた旧三国通はおおよそ7・8割は残っていました。 しかし地元ではその言い伝えも、途切れ途切れと云うのが現状でした。ところどころで見つけた道標の表記名は「江戸海道」「海道」「えど」、古老たちのこの道に対する呼称は「殿様が籠に乗った道」「官軍が通った道」という事件で言い伝えられていたところが多くありました。 この検証を始めた当初、伝承伝聞のたぐいをまず検証の対象とはせず、最終その伝承伝聞の確認・検証を行うことを自ら課してきました。 結果、つくづく越後では、参勤交代定式路・佐州三路ノ一路三国通・旧三国街道・伊能道に対する認識・意味が顧みられてこなかった事実を実感した次第、摂田屋における捏造の確信と共に。   ところで。川口南にあります「道の駅・アグリ」あの施設の裏にある里道が旧三国街道です。魚野川の河道変化・段丘の土砂崩れ等で江戸期のラインが多少変わっているようですが、確かにあの道です。 川口アグリ、2018H29・05・25、昼食の山菜弁当入手。 川口駅内のベンチで食す。駅員に注意された。 体調は良、二か月に一回の検診と一年に一回の検査入院・・・もう、やめたいのですが!   
 
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