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釜炒り茶の伝来

 投稿者:坂本孝義メール  投稿日:2010年 6月14日(月)22時02分11秒
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  「鹿児島茶発祥の地」で検索していたらここにたどり着きました。

650年前に思いを馳せて釜炒り茶を飲まれたようですが、正史では、釜炒り茶の伝来は1654年に来日した隠元禅師によるものとされています。
佐賀県嬉野市では1440年頃に平戸に来た中国の陶工が自家用に茶を植えたのが始まりとされ、また永正年間(1504~21)には明の紅令民が中国式の釜炒り茶のつくり方を伝えとされています。
また熊本県の山都町や宮崎県の五ヶ瀬町、高千穂町で生産されていた青柳製は、一説には、加藤清正(1562~1611)によって朝鮮半島から連れてこられた技術者が熊本城の築城(1596~1607)後に山都町加勢群(かせむろ)に定住、茶をつくる技術が後世に伝わったとされています。

中国では、1391年に洪武帝が団茶の製造を禁止したので散茶が普及することになります。
散茶の製法は14世紀初頭の記録では蒸す製法ですが、その後釜炒り製へと替わっています。
中国と日本の交流は、幕府の勘合貿易以外におびただしい船が行き来していたことが考えられたおり、記録に無いだけで室町時代の中期には釜炒り茶が日本に伝わった可能性は極めて大きいとされています。

でも、足利尊氏が般若寺に在陣したのは1350年頃、明の洪武帝を遡った時代に釜炒り茶の伝来があったとされた根拠はどこにあるのでしょうか。
是非、ご教授願います。
 
 

感謝

 投稿者:梯子段  投稿日:2009年 4月13日(月)22時14分17秒
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  十年間、ご苦労様でした。しばし、休憩、充電してください。重ねてご苦労様でした。  

阿波井堰

 投稿者:本人  投稿日:2008年 8月17日(日)13時40分20秒
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  7月18日 県議団が湧水町吉松地区の水害の元凶になっている阿波井堰の視察に訪れた。可動堰に改築されることになっている。一日も早く着工できるように地域一体で取組んでいるところです。
 

お茶の復元2

 投稿者:本人  投稿日:2008年 5月12日(月)18時28分39秒
返信・引用 編集済
  自生するお茶の葉は、現在のものと比べて形が大きく、原口泉先生の味覚では、味はインドのタージリン茶に似ているということです。写真の左から「魚野の茶」「栗野岳の茶」そして一番右の葉が「般若寺の茶」です。
 

銘茶の復元

 投稿者:本人  投稿日:2008年 5月12日(月)18時19分11秒
返信・引用
  湧水町吉松地区の般若寺遺跡周辺に自生するお茶を釜炒り製法で製茶したお茶をいただきました。このお茶は、室町将軍足利尊氏が九州に下ったとき、般若寺に在陣し、京都の宇治から茶種子を取寄せ広めたといわれる説と、般若寺の開山僧が宇治から下山し、境内に茶の木を植え製法を伝授したという説があるそうです。650年前を想いながら、美味しくいただきました。
 

2008年1月1日 雪

 投稿者:本人  投稿日:2008年 1月 1日(火)16時48分49秒
返信・引用
  元旦は、時折吹雪の寒い一日でした。
2階から吉松橋を望んだところです。
 

川内川 工事

 投稿者:本人  投稿日:2007年11月21日(水)12時19分46秒
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  湧水町栗野地区の工事が着々と進んでいます。吉松地区の工事着工が待ち遠しいこの頃です。  

ものいい

 投稿者:本人  投稿日:2007年10月 8日(月)10時04分22秒
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  10月7日 湧水町勝栗神社境内で豊祭奉納相撲がおこなわれました。小学生から一般まで団体・個人の勝ち抜き戦が行われ、小学生の女の子もがんばっていました。
写真は、行司軍配に物言いがついたところです。結局取り直しに成りました。
 

カヌーチャレンジコース

 投稿者:本人  投稿日:2007年 8月27日(月)16時30分8秒
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  大会終了後下流の激流コースでは、転覆する選手が続出。
 

カヌー大会

 投稿者:本人  投稿日:2007年 8月27日(月)16時22分47秒
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  8月26日(日)湧水町轟の瀬において、カヌー大会が開催されました。思うように前に進まず悪戦苦闘している選手もいました。
 

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